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元警察庁長官までが 国民の前で平気で偽証する日本!
漆間巌・官房副長官=元警察庁長官
警察・検察の欺瞞体質
例証:
西松建設の違法献金事件をめぐり、今年09年3月5日政府高官と記者
団とのオフレコ会見(記者が録音やメモをとらず、発言者の名も匿名と
する懇談)で政府高官が「自民党は立件できない」と発言したと翌6日
報道されました。
この報道に関して、政府が同政府高官とは漆間官房副長官であることを
公表しました。
このような経緯を経て、3月9日に行われた漆間氏の記者会見において、
漆間氏と5日のオフレコ会見で質問した当人である民放記者との間で
行われたやりとりは、朝日新聞によると下記のとおりです。
(朝日新聞09年3月10日付)
↓ ↓ ↓ ここから
民放記者「私は副長官(漆間氏)に『この捜査が自民党に及ぶことは、
あるいは閣内に及ぶことはないか』と質問したと記憶している」
漆間氏「ご質問を受けたことは覚えている。(献金を受けた政治家側
が西松建設に出した)請求書があった場合はどうか(という質問)と私
は受け止めた」。
同記者「請求書うんぬんではなく、自民党に及ぶことはあるかという
質問だったと思う」。
漆間氏「私は全然、そういう問いがあったという記憶がない」
やはり懇談に出席した全国紙記者が「請求書の質問は私がした。『自
民党の方も請求書などの物証が出てくれば出来るのか?』と質問をした
記憶がある」「自民党という言葉を質問の中でも使った」とただしても、
漆間氏の答えは「記憶はないですね」。
(中略)
漆間氏は会見に先立つ9日午前の参院予算委員会で「特定の政党、あ
るいは特定の政党の議員について検察の捜査が及ぶか及ばないかを申し
あげたという記憶はございません」と答弁、その後の会見でもこの内容
を踏襲した。ただ、「自民党」に言及がなかったとも断言せず、「私の
記憶にない」との表現を付け加えることを忘れなかった
漆間氏は記者から自民党と特定の政党について「言ったか、言わなか
ったかは断言できないのか」と迫られると、「私の記憶に誤りがあれば、
それは違うのかもしれません」と一瞬譲るかの姿勢も見せた。が、すぐ
に「それは(懇談に同席していた3人の)秘書官とも、そこの部分は一
致している」と付け加え、自分が引いた一線は譲らなかった。
↑ ↑ ↑ ここまで。
公式の記者会見や予算委員会での官房副長官の答弁は、当
然公務員としての責任を負う「証言」である。
私には、上記発言が元警察庁長官の証言として著しく低級かつ悪質と思
われるので、これについてお話しします。
(1)「自民党は立件できない」という5日の漆間発言についての
報道各社の具体的表現は朝日新聞(3月10日付)によると
朝日新聞 自民党側は立件できないと思う
読売新聞 自民党の方にまで波及する可能性はないと思う
毎日新聞 この件で(東京地検が)自民党の方までやることはない
と思う
日本経済新聞 自民党に及ぶことは絶対ない
共同通信 自民党議員に波及する可能性はないと思う
となっています。
上記のとおり5つの報道は、報道機関の記者の「証言」といえるわけで、
その内容はこのとおり一致している。さらに、記者は真実を報道するこ
とに責任を負う立場にあり、さらに漆間氏に対して利害なき第三者であ
り、証言としての有効性は否定できないでしょう。
これに対して、漆間氏は同氏の秘書官3人の証言が同氏の主張と一致し
ていると、いかにも元警察庁長官らしく自発的に証人を明示している。
しかし、漆間氏の証人である秘書官は漆間氏と利害一致する関係者であ
る。関係者どころか秘書官は漆間氏の秘密を預かる”特別な身内”であ
る。
したがって、漆間氏の上記反論は反論としての意味がないばかりか、証
言の有効性について当然熟知しているはずの元警察庁長官の主張として
は、完全に論理破綻していると言うべきです。
自分の支配下にある秘書官を証言者として反論の”理論的裏づけ”とし
ようとしている元警察庁長官の非論理性は、すでに「強弁」の域に達し
ていると思われます。
さらに、そのような非論理を敢えて自己の主張として公言するというこ
とは、事実を曲げ、国民を欺罔しようとする意図がある、ということに
もなるのではないでしょうか。
(2)3月9日の記者会見での
「私は全然、そういう問いがあったという記憶がない」
という漆間氏の弁明発言は、
「(報道されているような5日の発言を)私は言ってない。報道はウソだ」
と主張しているのと同じである。
なぜかと言いますと、
5日の問題発言が報道されたのは翌日の6日でありその間たった1日し
か経ってない。したがってこの時点で報道を知った漆間氏にとって上記
報道内容が自己の発言と異なるかどうかということは、記憶の糸をたど
るまでもなく明らかだった筈です。
してみると、彼がその後「記憶にない」と言っているということは
オフレコ会見翌日つまり6日の報道を知った時点で、漆間氏は早くも
「記憶がない」状態だったということになります。
さらに、前日の発言について言った記憶自体がないということは、すなわち
「言わなかった(発言した事実はない)」ということになりますね。
したがって、漆間氏の
「私は全然、そういう問いがあったという記憶がない」
という発言は
「(報道されているような5日の発言を)私は言ってない。報道はウソだ」
と主張しているのと同義ということになるわけです。
むしろ、そのように言い切る方がより適切な表現というべきでしょう。
しかし、漆間氏はそう言いたくても言えない。
したがって逆に、漆間氏がそう表現できないというところに、漆間氏の
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ここで、漆間氏のいかにも狡猾なところを指摘しておきましょう。
「私は全然、そういう問いがあったという記憶がない」という弁明は、
そもそも漆間氏が「自民党は立件できない」と”言ったか言わなかったか”
が問題になっているのに、その問題点を「問いがあったかなかったか」
という質問者の(責任?)問題にすり替えているのである。
(3)上記2項目を合わせて考えると、漆間氏の問題発言は「報道され
ている発言はしていない」と主張しているのと同じであり、反面、利害
関係のない第三者である報道記者たちの主張は5件とも一致していると
いうことになり、この相反する2つの証言を漆間氏が警察の最高権力者
であった刑事事件のの裁判になぞらえれば、漆間氏の自己発言について
の証言は”偽証”ということになるのではないでしょうか?
さらに、警察庁長官であった者が上記のような非論理な自己主張を正当
な論理的主張だと思い込んでいるのであれば、漆間氏が長官を努めてい
た警察関係官庁は、捜査機関としてもっとも基本的な”論理”について
さえデタラメで、そのでたらめ論理を振りかざして犯罪捜査を行ってい
る組織ではないか?との印象を国民に与えるものと危惧されます。
しかも、このようなデタラメ論理で立件した刑事訴訟について、その約
9割という世界に例のない高率で有罪判決が出されるという日本独特の
(検察と司法が癒着していると言われる)怪しい刑事裁判の現実がある
のです。
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日本の捜査当局のトップの実体がこれなのです。警察庁も検察庁もやは
り、単なる”お役所”。歴代の警察庁長官も代々高額報酬の組織や団体
に天下っています。
(これらの事実関係については、
漆間巌 Wikipedia
●クリック⇒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%BA%81%E9%95%B7%E5%AE%98
●クリック⇒Wikipedia保存版
警察庁長官 Wikipedia
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などを参照願います)
民主党を初めとする野党の主張する”霞ヶ関”官僚制度改革を、彼ら役
人が絶対認容できない理由がここにあるのです。
したがって、自己保身のため警察や検察といえど不正義がまかり通って
いると思われる日本においては、格差貧困化政策に嵌められた9割国民
が政・財・官の血税浪費を食い止めて自分たちの生活を良くしようとす
るならば、これまで以上に積極的に意思表示して「政・財・官を国民が
唯一コントロールできる方法、つまり衆議院選挙」に本気で立ち向かう
しかないのです。
国民が怒り、現実に行動を起こせば、それだけで日本の格差・不平等社
会が改善されるのは確実です。
日本国民よ、どんどん悪化する格差不平等社会を根絶し、日本を皆が不
安のない生活を送れる本当の民主国家に変えようではありませんか。
アサノあきら
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上記の話は事実のごく一部。
日本を格差・差別社会化し、9割国民を貧困化させる格差社会政策は
15年前、当時の宮沢首相がクリントン米大統領に
あの悪名高い”年次改革要望書”を押しつけられてから、毎年毎年アメリカの
「要求」に応じて自民・公明政権が連綿と長期にわたってつづけている
亡国政策であり、小泉構造改革(新自由主義)がその典型です。
9割国民が困窮化することはとっくにアメリカで現実化しているのです。
麻生政権の政策もその延長にすぎません。、
このことを自民党・公明党政権が承知の上での確信犯なのです!
この、格差増大・国民差別化を推進する「ノアの方舟」政策について
もっと詳しく知りたい方は、
●クリック⇒『リアル投資学!』07/02/13
『 「年収1000万でも10年後は困窮層! 」とはトンデモ!
小泉構造改革 痛みに耐えても果実なし! 』